貝殻坂
現在の大船と戸塚の中間あたりの、笠間や飯島、戸塚一帯は縄文時代は大船入り江であった。
道路拡幅工事や、宅地開発時に、貝の化石が大量に出土したことにより、貝殻坂という地名がついた
と言われている。
正安寺
長沼山西安寺(臨済宗円覚寺派)
前身は能満寺(別称 草鞋ぬぎ寺)
親鸞が滞在したことから天台宗から浄土真宗に改宗。
室町時代の終わりころ、小田原北条氏康が一向宗(浄土真宗)の
弾圧をおこなったため、能満寺は円覚寺に救いを求めて円覚寺の
末寺になり正安寺と改称して弾圧を逃れたと言われている。
境内に親鸞お手植えの槇がある。
本尊は親鸞聖人作 阿弥陀如来
親鸞お手植えの槇
南谷戸の大わらじ
(横浜市地域有形民俗文化財)
大正時代の初めころ、土地の青年数名が農業に従事するかたわら、農事研究や
勉学にと活動。そして、米作農家の副業に藁加工を奨励したのがきっかけとなり
、南谷戸の象徴として作成されたという。
家内安全、五穀豊穣、交通安全を祈願して、3年ごとに(4月29日)に作り変えられる。
(全長3.5m、幅1.5m、重さ200Kg。)
藁の仕度からまる2日間かけ、50世帯の家族総出で製作される)
「南谷戸の大わらじでは 地元の84歳になる男性が
ご自分の子供の頃の下倉田の様子、昔と今のわらじつくりについてのお話を
聞くことができました。わらじつくりは3年ごとの4月29日。」
永勝寺
龍臥山祥瑞院永勝寺(浄土真宗大谷派)
はじめは長延寺(天台宗)と称していたが、親鸞が逗留し布教したことから
天台宗から浄土真宗に宗旨替えをした。その後寺は衰退したが、武田信玄により
再建された。
小田原北条氏ににらまれ、寺名を永勝寺と改めて難を逃れたという。
境内には、親鸞聖人が仏前に水を供えるため掘ったといわれる井戸(保冷水)や
槇、銀杏、タラヨウ、オガタマなどの大木名木がある。
横浜市名木古木指定 槇