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緑    




















河村城址  

河村城は平安時代末期に藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたとされる。 建武の新政・南北朝時代に入ると、河村氏は新田氏に協力し南朝方につき、北朝方の足利尊氏と対峙したといわれ、 1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)から2年間、河村秀国・河村秀経らは新田義興・脇屋義治とともこの城に立てこもり 、畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃をしのいだとされる。しかし、南原の戦いで敗れ落城し河村一族の多くは討死し、 新田義興・脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れたとされる。 その後は、この城は畠山国清や関東管領上杉憲実を経て、足利持氏の属将、大森憲頼(氏頼の弟)の支配するところとなる。 戦国時代に入ると後北条氏の支配を受けるようになった。元亀年間(1570年(元亀元年) - 1573年(天正元年)) には甲斐国の武田信玄の侵攻の際に補強され、その後、周辺の諸城とともに後北条氏と武田氏の間で争奪合戦があったとされる。 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し
廃城となった。

洒水の滝  

洒水の滝(しゃすいのたき)は、神奈川県足柄上郡山北町にある二級河川酒匂川水系滝沢川にある滝で、 滝沢川とともに洒水の滝・滝沢川として1985年(昭和60年)名水百選[1]に選ばれるとともに、洒水の滝は日本の滝百選・ 「かながわの景勝50選」[2]・「かながわ未来遺産100」にも
選定されている

(ウィキペディアより引用)



2017年度第9回定例会
河村城址歴史公園〜洒水の滝散策

平成29年5月17日(水)曇り


雨天順延(10日予定)が一週延びた定例会。今回はなんとか天気も持ちそう。 山北駅から新緑が萌えるコースをゆっくり歩きながら河村城址公園に向かう。道中ミカン畑や様々な植物を愛でながらのんびりと歩きました。 「美しい日本のあるきたくなる道500選」に選ばれている「河村城址公園から洒水の滝へのみち」「日本の滝百選」に選ばれている 「洒水の滝」を堪能しました。

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コース(行程)
JR大船駅(AM9:14乗車)=国府津駅(9:44)=御殿場線(9:49)=山北駅(10:22)
山北駅=森林セラピーコース=川村城址公園=木洩れ日の道=高瀬橋=洒水の滝散策路=洒水の滝 =山北駅=国府津駅=藤沢駅=大船駅(解散)
  
企画担当 塚本・藤田  (参加人数 会員5名 ゲスト3名)




河村城址が近づく



城址公園の地図を確認

道中ミカンの花が満開

登りの階段が少々続く




相模湾を望み城址広場で昼食

シロツメグサがびっしり

公園はきれいに整備されている
途中で地元の野菜をゲット
酒匂川の上流付近を覗く
日向集落を歩いて洒水の滝へ
洒水の滝が見えた

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「日本の滝百選」 洒水の滝の前で全員集合


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