今までの「余暇」に対する考え方を具体的に現すと、
戦後の一時期は良好な人間関係を構築するための趣味の集い、
あるいは趣味の習熟度を競う旧来の「お稽古事」の延長線上にある楽しみが主流であったはずである。あるいは
終身雇用制度の上に成り立つ企業まる抱えのレクリェーションなどに家族ぐるみで参加しささやかな「娯楽」を
楽しんでいたものである。
しかし、
高度成長期を迎え更に、
バルブ期に入った経済成長は、日本人の金銭感覚、物に対する考え方、「余暇」に
対する考え方、価値観を大きく変えてしまった。
「楽しみ」は金で買うという考え方。接待と言う名目で官費公費で遊ぶという感覚。更に皆がやるから自分もやる
(遊ぶ)という主体性を持たない追従型人間の大量排出。これらは全て日本経済の神話(土地の価格は下がらない
、賃金は上り続ける)の上に成り立ったあだ花であったのかもしれない。その時代に「余暇」の本質を考え、本当の
「生きがい」を追求していた人間が何人いただろうか。無論皆無とはいわないが、多くの人間が主体性のない楽しみ
の手段を追いかけていたはずである。
バブル崩壊後概ね15年。土地神話の崩壊をはじめとする日本経済の破綻は国民の既成概念を大きく変えてきている。
土地は値下がり、賃金は上らないなど、今までの物質偏重の考え方が成り立たなくなってきていることに気づいた人
たちが、物的消費から離れて満足する「生きがい」を模索しているはずである。
海外旅行は相変わらず盛んであるが、国民の消費性向もそれぞれが満足するものにしか金を支払わない。主体性を
持った消費性向に移行しており、追従型や総花的な金の使い方は減少しているはずである。
低成長時代、労働時間の短縮と相まってゆったりと時間が流れて行くことを実感として捉えられたとき、始めて
「生きがい」の本質を考える土壌が醸成されてくるはずである。