07みどりの会、地球の片隅の古都鎌倉で楽しむリタイア生活。樹木、花々、 鎌倉の緑を愛でる、自然保護、環境保全、トラスト、シニアの交流サークル
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見どころ

滑川について
滑川は朝比奈峠付近を源流として相模湾に注ぐ全長約6KMの二級河川。滑川は 上流からその地域所縁の名前が付けられ胡川、滑川、座禅川、夷堂川、炭売川、閻魔川 と名付けられています。現在「華の橋」から下流の「宝戒寺橋」までの渓流環境を再生し 「かまくら景観百選」に選定されている。


田楽辻子のみち
鎌倉時代からある小道で、路地名の由来はその昔田楽法師しんでいたからと言われています。 滑川に架かる大御堂橋の文覚上人屋敷跡から報国寺に至る道。 二代執権北条義時の菩提を弔うために三代執権北条泰時が建立した「釈迦堂」前に田楽師が住んでいたことからこの名がつけられたという


一条景観山荘
国指定重要文化財「一条恵観山荘」はおよそ370年前の江戸時代初期に建てられた、 皇族の別荘であった歴史的建造物です。京都西賀茂にあったものが昭和期に鎌倉へと移築され、 庭園と共にその雅な日本文化を今に伝えています。


大蔵稲荷
鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に登場する「大倉稲荷」のことではないかといわれている。  『吾妻鏡』の弘長元年5月1日の条に、「幕府は、大倉稲荷に会合している者を捕らえようとしたが、悉く逃げてしまった」と記述されおり、翌月には「三浦義村の子良賢が謀叛によって捕らえられた」と記述されている。  ここから考えられるのは、大倉稲荷で会合していたのは、幕府転覆を狙う三浦氏の残党であったとも考えられる。  この『吾妻鏡』に記述されている「大倉稲荷」が、現在の「大蔵稲荷」である可能性があるといわれているが定かではない。 br>




2019年前期 第4回定例会
滑川を遡り一条恵観山荘へ


令和元年12月11日(水)


鎌倉を代表する悠久のせせらぎ「滑川」を遡り道々自然と、史跡を巡りながら最後に「一条恵観山荘」を訪れる コース。天候にも恵まれ楽しい散策でした。

コース(行程)
鎌倉駅東口集合(10:00)=滑川に添って散策=下川橋=夷堂橋=本覚寺=琴弾橋=東勝寺跡=腹きりやぐら= 宝戒寺橋=紅葉山やぐら=大倉稲荷橋=大御堂橋=勝長寿院跡=田楽辻子のみち=犬懸橋=廣瀬橋=華の橋=一条恵観山荘=解散
  
企画担当 石島・安斉 (参加人数 会員9名 ゲスト1名)



日蓮上人辻説法跡
大倉稲荷付近の滑川
大倉稲荷
長勝寺跡
一条恵観山荘(国重要文化財)の入り口
一条恵観山荘の中で一条恵観山荘の中で
一条恵観山荘の中で一条恵観山荘の紅葉
一条恵観山荘の中で一条恵観山荘の中を流れる滑川

一条恵観山荘で全員集合

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