A 六国見山
六国見山(ろっこくけんざん)は、円覚寺後方の山で標高は147メートル。
円覚寺山号の「瑞鹿山」と呼ばれることもある。
安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の六つの国を一望できたことからその名が付けられた。
1323年(元亨3年)から1335年(建武2年)頃の「円覚寺境内絵図」(重文)に「六国見」(ろっこくけん)と記載されているのが初見とされている。
B 高野の切通し
大船の名主甘糟家の長屋門前から、六国見山を目指すハイキングコース内に見事な切通を見ることができる。
鎌倉七口とは違ってあまり知られていない切通で、一般的に「高野の切通」と呼ばれている。
かつては、山ノ内荘と六浦荘とを結ぶ尾根道だったという。
この切通を進み、古道に沿って進むと大船高校の入口となる。
C 多聞院
多聞院は鎌倉市山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺が前身で、永享の乱で衰えた際に甘粕長俊が現位置に移転して名を改め、南介僧都を迎えて天正7年(1579年)に創建したと伝えられている。
もと鎌倉市手広の青蓮寺の末寺だったが、
1950年(昭和25年)に青蓮寺の前住職である草繋全宜が京都大覚寺の門跡となったため、同寺の末寺となった。
D 常楽寺
常楽寺(臨済宗建長寺派)は、三代執権北条泰時が、1237年(嘉禎3年)、妻の母の供養のために建てた「粟船御堂」を前身としている。
その供養には、源頼朝や北条政子が帰依した退耕行勇が導師を勤めた(宗旨は密教系であったといわれている。)。
1242年(仁治3年)に亡くなった北条泰時はこの地に葬られた。
のちに、五代執権北条時頼が、中国宋から来日し壽福寺に寓居していた蘭渓道隆を招き、禅の道場が開かれた。
道隆が建長寺を開く前に、この地で禅を広めていたので、常楽寺は「建長寺の根本」と称されている。