07みどりの会、地球の片隅の古都鎌倉で楽しむリタイア生活。樹木、花々、 鎌倉の緑を愛でる、自然保護、環境保全、トラスト、シニアの交流サークル
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史跡メモ

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史跡案内

@ 八雲神社と安倍晴明
北鎌倉界隈には平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明に係わる石や石碑がある。  山ノ内八雲神社には「安倍晴明石」がある。安倍晴明が厄除けのために置いた石で、もとは山ノ内道の十王堂橋あたりの道の真ん中に埋まっていたが、戦後になって進駐軍がブルドーザーで掘り起こしてしまい、山ノ内の人たちが八雲神社境内に手厚く移したと伝わる。この石を知らずに踏めば足が丈夫になり、知っていて踏めばびっこになると伝えられ、「びっこ石」とも呼ばれる。 また、十王堂橋の傍には「清明井戸」もあったとされる。  JR北鎌倉駅から建長寺に向かう途中の横須賀線の踏切を渡ったところに「安倍晴明大神」(明治39年(1906年)銘)の石碑がある。この碑の辺りに安倍晴明の屋敷があったともいわれている。 建長寺の鎮守神であった第六天社の鳥居左後方にも「安倍晴明大神」の石碑が建てられている。

  A 六国見山
六国見山(ろっこくけんざん)は、円覚寺後方の山で標高は147メートル。  円覚寺山号の「瑞鹿山」と呼ばれることもある。  安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の六つの国を一望できたことからその名が付けられた。  1323年(元亨3年)から1335年(建武2年)頃の「円覚寺境内絵図」(重文)に「六国見」(ろっこくけん)と記載されているのが初見とされている。

B 高野の切通し
大船の名主甘糟家の長屋門前から、六国見山を目指すハイキングコース内に見事な切通を見ることができる。  鎌倉七口とは違ってあまり知られていない切通で、一般的に「高野の切通」と呼ばれている。  かつては、山ノ内荘と六浦荘とを結ぶ尾根道だったという。  この切通を進み、古道に沿って進むと大船高校の入口となる。

C 多聞院 
多聞院は鎌倉市山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺が前身で、永享の乱で衰えた際に甘粕長俊が現位置に移転して名を改め、南介僧都を迎えて天正7年(1579年)に創建したと伝えられている。 もと鎌倉市手広の青蓮寺の末寺だったが、 1950年(昭和25年)に青蓮寺の前住職である草繋全宜が京都大覚寺の門跡となったため、同寺の末寺となった。

D 常楽寺
常楽寺(臨済宗建長寺派)は、三代執権北条泰時が、1237年(嘉禎3年)、妻の母の供養のために建てた「粟船御堂」を前身としている。  その供養には、源頼朝や北条政子が帰依した退耕行勇が導師を勤めた(宗旨は密教系であったといわれている。)。  1242年(仁治3年)に亡くなった北条泰時はこの地に葬られた。  のちに、五代執権北条時頼が、中国宋から来日し壽福寺に寓居していた蘭渓道隆を招き、禅の道場が開かれた。  道隆が建長寺を開く前に、この地で禅を広めていたので、常楽寺は「建長寺の根本」と称されている。

(HPから引用)



2019年後期第5回定例会
六国見山とその周辺の史跡をめぐる


ここが鎌倉で最古・最大の庚申塚のほか江戸時代の前・中・後期の庚申塔が集まっている    

令和2年1月15日(水) 晴れ

企画担当 八木&石島 (参加人数 会員6 ゲスト1 ※新年会8 )

コース(行程)
北鎌倉駅北側大船寄り臨時改札口集合ー八雲神社ー清明石ー 鎌倉最古の庚申塔ー高野台バス停ー(尾根道)ー六国見山ー高野切通ー 多聞院ー常楽寺ー大船2丁目中華料理で新年会


高野の切通を通って大船へ(大船高校〜多聞院〜浄楽寺へ向かう)   
定例会 スナップ                


 
八雲神社、陰陽師安倍晴明にまつわる清明石があった
八雲神社境内
六国見山夫婦桜・山頂からの展望
多聞院と境内
常楽寺を見学した後一路大船市内の新年会会場へ

   下見担当(幹事の感想))

お天気はまずまずであったが、臨時改札口へのアプローチが 複雑で、通常の改札を出たり入ったりでここで本日の体力を使い果たした人もいた? 八雲神社、清明石は地元に大切にされている様子がうかがえるし、庚申塔も割と 整備されていて、先ほどのトラブルを忘れさせてくれた。 六国見山への登坂は、急坂もあるのでここを自宅の庭のように熟知しているFさんに 先導をお願いした。尾根道に入るまでは世話役も初めての道、おしゃべりも絶好調 でした。頂上までは比較的緩やかな登りで楽しく進んだ。頂上付近も台風の傷跡が 見られる中、かたずけなど手入れが良くされておりさらに楽しくなる。頂上では 「六国とはどこどこ?」と遠景を指しながらわいわい。昼の楽しみが待っているので、 そこそこに頂上を後にして階段は使わずおしゃべりも抑えて山を下った。 立派な切通を超えると多聞院。毘沙門天にあいさつして市街に入り、常楽寺。 3代執権北条泰時の墓にお参りした。寺は臨済宗(禅宗)で蘭渓道隆が建長寺に 入る前に逗留した名刹。しかしそのよすがはほとんど見られずお坊さんの生活する 庫裏が立派だなと感じるぐらいかな。ここで世話役のIさんが禅とは何かについてお話。 「以前、寺を案内している際歩いてきた高位らしき僧侶にー禅とは何かーと問答を仕掛けた。 ややあってー禅とはその時その場で最善の道を行くことだーとの応えがあった。」 毎日ぼんやりと生きている身にはとても響いた。この話、常楽寺という舞台もはまって いたんでしょうね。 その後は裏のある坂を上ると悲劇の木曽義高と大姫の墓の参り、一路新年会へ。 これがまた大賑わい。2千円食べ放題、ビール1杯300円すべて税込みの中華。 みどりの女性軍は普段は”おしとやかで・・・”いらっしゃりますが、皿が飛ぶように 空になりおしゃべりもピタッと止んで、それはそれは・・・もう書けません。 疲れも吹き飛び満ち足りた雰囲気で例会の幕が下ろされました。


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